自分だけの車輪を作る

プログラミングも表現の一形態であるならば、色々な書き方ができることが重要なのかな、と。道具としての効率性、という面だけから考えると、皆が同じツールで、同じ書き方、できるだけ再利用して作る、というのがよいように思えるけれど、逆に多様性を重視するならば、同じ目的でも、できるだけ多くの人が、それぞれ異なる視点で、自分が素晴らしいと思う方法をアウトプットしたほうがよい。

共有と多様性 : The Future of JavaScript - Goodpic

これってPHPフレームワークにも当てはまる話だよなーと思った。PHPって便利そうに見えるけど結構不便で、それを何とかしようとして皆でいろいろやっているという。

ひとつのポイントは、「車輪の再発明」をするのではなくて、「他の車輪を良く見て、自分だけの車輪をつくる」っていうこと? そういう表現自体を、単純に面白いと感じるなら、なぜそれを、より低いレイヤーでやってはいけない理由があるのか?

共有と多様性 : The Future of JavaScript - Goodpic

自分だけの車輪を作るのは楽しい。効率は悪いかもしれないけどね。フレームワークが乱立している今のPHPの現状って、結構好きかも。